皆さんこんにちは★ 昔は自衛業∠(`ゝ´) 現在は自営業の606ですm(_ _)m

 高校を卒業したら、さっさと家業を継いで落ち着こうと思っていたけど… 高校3年の夏ぐらいに学校から帰宅したらメチャカッコ良いジープが家の駐車場に止まっていた。 その日その時から平和に過ごすはずだった僕の人生が大きく狂ったのは間違いない。 どういう口伝で防衛庁が我が家に来たかは未だ謎。 この謎を解こうとは思ってないけど… 西尾駅の真ん前に自衛隊の案内所(地方連絡部)いわゆる『地連』があったのは過去の事。 『地連』とは、「イイ体してるね〜!自衛隊に入らない?」と募集をしてる隊員の事。 名古屋の栄で同じように一度声を掛けれらたけど… 「オジさんのほうがイイ体してますよ」と軽く流した事がありました。

 ここから免許取得までの事を書くと、アップするまでに半年ぐらいかかるので割愛させていただきます。

 自衛隊に入ったら20種類ぐらいの免許が取れるとパンフレットに書いてあったけど… あれは嘘だった。 家にやってきた、僕の人生を狂わせた地連の人(今でも名前は忘れない)は「直ぐに免許取れるからね!」と笑顔で嘘をついてた。 木下って名前は一生忘れないだろうな。 自衛隊ってのは任期があって、2年ごとに更新されるのです。 僕は免許取って2年で辞めるつもりだったけど…人事科の作戦で3年目に免許を取りに行ける事を告げられた。 2年で辞めちゃったら免許取れないから継続するしかない。 上手いカラクリだったよ。

 友達のほとんどは高校卒業と同時に自動車学校に通って免許を取得して素敵にハッピーなカーライフを過ごしていたけど… 僕には2年間も免許が無かった。 休暇で帰るのも高速バスとか近鉄特急。 家に帰っても車が無いから身動きできず… 友達が車で来ても運転できずに助手席だった。 いま思えばよく我慢できたなぁ〜!

 さてさて本題の『ツッパリドライビングすく〜る606』に入りましょうか!
 陸上自衛隊青野ヶ原駐屯地(兵庫県小野市)で地味に遊んでた606。 当時20歳。 自動車学校が市内にあるにもかかわらず…愛媛県松山市の松山駐屯地にプチ転属になり、ここで免許を取る事になりました。 ここは駐屯地内に自動車教習所があります。 こういった駐屯地は国内に数多くあります。 豊川駐屯地にだってあるのに…。
 ちょうどこの頃に瀬戸大橋が開通となり、僕らは制服を着たまま電車に乗せられて松山駐屯地まで来ました。 陸上自衛隊の制服ってダサイから嫌だったなぁ。 
 ここ松山駐屯地で3ヶ月間の免許取得人生が始まるのでした。 二十歳の真夏の物語。

 松山駐屯地に着いたその日は荷物の整理と施設の案内で終わりました。 プチ旅行気分で…同じ部屋(8人部屋)になった隊員と喋ったりして楽しく過ごしたかったけど… 全国から集まった意味不明な烏合の衆は一人一人が殻にこもって殺気立ってました。

 翌朝からはラッパの音で普通に起きて、点呼整列。 24人の教習所同期生が並びました。 今日から教習が始まるワケです。 朝の掃除・朝飯・身支度などを済ませて各班(4人)の区分。 班の教官の紹介が行われました。 どの教官もヤクザのオーラが満ち溢れていた。 その中でも真っ黒に日焼けしたマッチョなヤクザの教官に当ってしまった。 常に下から睨んでるあの怖い顔は20年近く過ぎた今でも鮮明に覚えてます。 ここからが地獄の始まりでした。
 各班に分かれて教官と僕ら教習生で自己紹介から始まったのだけど… 他の班では既に殴られた教習生も出ていた。 自己紹介で殴られる自動車学校って一体? まぁ…噂では聞いてたけどね。

 6班あるうちの僕らは第6班。 教官の名前は…忘れちゃった。 何て言ったっけなぁー? 
 1班から3班までがAグループ。 4班から6班までがBグループで… Aグループが実技教習をやってる時、Bグループは学科教習を行う仕組み。 1日の午前と午後で入れ替わる仕組みです。 そう! 丸一日免許を取得する為だけに過ごすのです。 毎日毎日3ヶ月間! 皆様からの血税で衣食住与えられながら…3ヶ月後には免許も与えられるのです。 もちろん無料です。

 【学科教習】
 まずは懐かしい『教本』ってのを第1章第一節づつ毎日こなして行きます。 
 学科教習の教官は結構年配の隊員で、とても穏やかな教官です。
 この時間はメチャメチャ眠くてたまりません。 特に午後からの学科教習は午前中の疲れも出て脳死状態。 しかし万が一にでも寝てしまうと…それはそれは恐ろしい目に遭います。 とても穏やかな教官は、ふざけた教習生の名前をチェックして…班の教官に報告します。 いわゆる『告げ口』。 あとはご想像にお任せします。
 とにかく眠いです。 毎回映画があるのだけど…この映画でダウンする教習生がほとんどでした。 暗くなっちゃうしね! 僕はメガネをして真っすぐ寝てたから一度もバレなかった。

 そして恐怖はここからです。 最後にテストが行われます。 50問ある○×問題。 1問2点で78点以下だったら…教本の後ろの10ページぐらいにまとめられてる標識や表示を全部写し書きして、更に色も塗って消灯時間10時までに提出しなければならないという超怖い罰ゲームが待っているのです。 これは僕も数回やったけど…午後6時から消灯ギリギリまでかかりました。 苛ついた教習生同士の喧嘩も絶えない夜だった。

 【実技教習】
 なんと言っても初めて乗る車が大型車(3トン半)。  普通免許を持ってる仲間でさえも扱えない車。 道交法で大型免許を取得できるのは『普通免許を持って3年以上』という法律がある。 僕らのほとんどが免許無しの状態からイキナリ大型免許に挑戦するのです。 普通車でも怖いだろうに…イキナリ大型車です。

 まずは教習車(古い装甲車)の前に整列して教官に挨拶。 僕らの教官は常に後ろ手で前傾姿勢、それでいて下から怖い目で睨んで話す。 目が合っただけで背中に汗が流れるぐらい怖かった。 他の教官はオチャラケ系・和み系・泥酔系・嫌味系・体育会系…だが全てに共通していたのは『短気&暴力系』でした。  笑う余裕が無かったのは僕らの教官だけ。

 教官に挨拶するまでに沢山の儀式がありました。 とにかく教習車は綺麗にしておかないと、その日は乗せてもらえません。 毎日点検&手入れをしておかないとダメでした。 雨でドロドロの駐車場でもタイヤを洗うのは当たり前。 教官が納得したところで、駐屯地を出て直ぐの教習所まで乗せて移動してもらえます。 到着したら教官の気分で実技教習を受ける順番が決まります。 これは博打でした。 一番良いのが2番目。 なぜなら1番最初は全く心の準備ができず、運転に集中できません。 そうなると教官の不機嫌レベルは増します。 2番目だと待ちくたびれる事も無く…調子良く運転できます。 そして最悪なのが4番目。 4番目は教官の不機嫌レベルは相当上がってるから一触即発ムードの中で運転しなければなりません。 また、3番目ぐらいで不機嫌レベルがMAXに到達すると…教官は教習所のコースを暴走して帰っちゃうのです。 4番目だとハンドル握れずに終ってしまう事がありましたね。

 実技教習は一人約40分。 自分の順番が来るまではコース整備という肉体労働が仕事でした。 雨降りでもキツイ労働は休めませんでした。

 一応は普通の自動車学校と同じカリキュラムで流れます。 違うのは教え方だけでした。 優しい言葉で親切に教えてくれる普通の自動車学校に対して、自衛隊の教習所は殴る蹴る怒鳴る。 大型車の高い運転席から蹴り落とされるのは日常。 左足は教官からの蹴りの連続で毎日真っ青。 耳の鼓膜が破れた仲間もいた。 歯が折れるのはカルシウム不足。 鼻血なんて怪我jじゃなかったね。

 一番厄介だったのが同期の中に数人いたエリート隊員。 このエリート隊員は数年後には教官よりも上の階級に昇進するから…殴る蹴る怒鳴られる事に耐えられない。 きっと…生まれてから一度も殴られたり怒鳴られた事がなかったのでしょうね。 行動よりも口答えが先だった。 だから教官を怒らせるは僕らはナメてかかられるわで…最悪の存在でした。 僕らから見ればただ女々しいだけだった。 階級や学歴に物を言わす存在は、この頃から嫌いだったなぁ!

 40分おきに15分の休憩がありました。 毎日当番制で教官にコーヒーor紅茶orお茶を入れなければなりません。 各教官の味の好み100%の状態で出さなければ、目の前で捨てられます。 「砂糖は耳かき1杯」「ブラックで冷め切る1分前」「お茶は甘くもなく渋くもなく」などなど… コーヒーを作らせておきながら紅茶が良かったと言われる事もあった。 給湯室のイジメみたいなものでしたよ。 

 そんなこんなで月日が流れ…
 仮免許取得から路上教習、免許取得となるワケですが… 仮免許のあたりからは脱落者が出始めました。 
 実際、路上教習で松山市内を運転してて…教官の怒りに触れ、松山市内で運転席から蹴落とされて作業服姿のまま2時間歩いて駐屯地まで帰ってきた者。 ストレスで体調不良になる者。 不適正と判断された者。 いろいろな理由で脱落者が出ました。 脱落者は自分の駐屯地(中隊)に帰らされたり… 最悪の場合は自衛隊すら辞めちゃう者もいた。
 僕はストレスと疲労で食事が嫌になり…この飽食の時代に栄養失調に陥りました。 三度の食事よりも売店で売っていた『味付けのり』ばっかり食べていたのが原因でした。 日曜日に6時間ぐらい点滴打って復活しました。 身長が169cmで体重52kgだった。 それぐらいの時に撮った画像が下の画像です。 路上教習で桂浜に行った時に気の合った同期生と撮りました。 606がどれだか分かるかな?

 最初は皆、一触即発のムード漂う仲だったけど… わずか3ヶ月弱で団結力は凄いものになっていました。 ムカつくエリート隊員も協調性を重視するようになり、見下す雰囲気も消えて仲良くなれました。 
 そして愛媛公安委員会で学科試験を全員1発で合格し、免許をもらって教習所に戻った時… これまで笑顔一つ見せなかった6班の教官が「おめでとう!」と似合わない笑顔を見せてくれた時の感動は忘れられません! (教官の名前は忘れたけど…)

 普通… 免許を取って初めて一人で公道に出る時って不安じゃなかったですか? 旧海軍の予科練に似ていた教習所を出た僕らは、一人で運転できるのが嬉しかった。 気楽だった。
 大型免許を取るよりも大きな免許を取得できた教習所だったのかも? 

 苦労して取った免許だから… 大事にしたいです♪   by606
ツッパリドライビングすく〜る606