『チキチキ通信』の始まりはステーキの『あさくま』からでした。

 ツーリングに走行会、各種イベントで仲間がどんどん増えていき… 93年の忘年会を『あさくま』でやってる時にセブンのクラブを作ろうという話しになり、当時の仲間全員が自分の考えたクラブ名を紙に書いて投票しました。
 僕が書いたのは『チキチキツーリングクラブ』で、それが多数決でクラブ名に決定! 僕がなんにも考えずに書いたのが当選してしまって凄く驚いた。 当時、お笑いコンビ・ダウンタウンの『ガキの使いやあらへんで!』というバラエティー番組があって、その中で『チキチキ○○ゲーム』というものがあり、お題は毎回頭に『チキチキ』がついていたので… それをパクっただけの命名でした。

 ただそれだけ m(_ _)m

 そのうちに『チキチキツーリングクラブ』が『クラブチキチキ』となり… 『クラブ』では高そうな飲み屋さんのイメージだから『倶楽部チキチキ』にしてみたり… 『倶楽部』ではSMとか薔薇族みたいな妖しい感じだったので『CLUB CHIKI CHIKI』に改名したりと、好きな事に関しては労力を惜しまなかったなぁ! 
 結局はクラブ名を書く機会なんて全然なかったから無意味な労力だったけどね。
 最終的には『チキチキ』で落ち着いてる。 これが一番楽ですわ〜♪

 ここまでで『チキチキ』という意味は理解して頂けた事と思います。 (理解するもしないもパクっただけですが…) 『チキチキ通信』というものは毎月ツーリングをやった感想を僕が書いて、ショップのお便りに載せていただいてた『作文』でした。 
 最初の頃はレポート用紙に手書きで書いてました。 国語辞典を引きながら頑張って書いてたなぁ! 
 そのうちにショップがHPを立ち上げたので、そちらにも載せていただくようにもなったけど… PCの普及率はまだ低い時代だった(僕だってPC持ってなかった)ので、PC持ってない仲間には今まで通りお便りが届いてた。 その頃にはポケベルが消滅寸前の時代で、僕は携帯メールで作文(チキチキ通信)を書いてショップのPCに送信してました。 親指も目も疲れたけど、漢字の変換が国語辞典を引くよりも何倍も速かったので、書き上げる速さは手書きの比ではありませんでした。 ただ、全角1500文字で書いたメールを6枚ほど一気に送信した時、携帯から煙が上がった事がありましたyo~

 しばらくそんな事が続き… 忘れもしない名古屋が大洪水になった日の夕方、仕事が終わってから名古屋のPC関連会社勤務の仲間の所にPCを買いに行きました。 約束していた焼き鳥屋さんに午後5時の待ち合わせだったけど、洪水の被害の実態を知らなかった僕が店に到着した時間は午後10時でした。 生まれて初めての大渋滞で… 待っててくれた仲間は飲むしかなくて、結構酔っていた。 殴られなくて良かったけど…高いPCを買ってあげないと悪いという立場だった。 

 数日後にその仲間が来て購入したPCを繋いでくれました。 ここからチキチキ通信は大きな携帯電話で書けるようになったワケです。
 チキチキ通信が楽に書ける&頭で考えていた事が思ったように文章にできるようになって嬉しかった。 それからはただの文章ではなく、気持ちを込める事はもちろん、風景や様子を文章で表現しやすくなって文字数が何倍にもなりました。
 ツーリングから帰って疲れていても書くのが嬉しくてバンバン書いては皆さんの手元に届いたり、ネットで配信されてました。

 うなぎ上りでチキチキ通信を作成してましたが、ある日突然ショップで使われなくなりました。

 初めてスプリントレースで優勝した喜びを書いたのをアップされたのが最後。 その後、何ヶ月分かの原稿がそのままでしたが気にせずに何かあれば書いてました。 
 そして旧606号が兵庫県セントラルサーキットでコースアウト&プチクラッシュ(事実上廃車)した時の様子を涙をこらえながら日曜日を一日使って書き上げた原稿が没になって…チキチキ通信は終了しました。 終了させました。

 というわけで! ここからは旧606号がセントラルサーキットでまさかの優勝をした時の様子を(記憶を甦らせながら)自慢気に綴り… 旧606号が優勝した次のレースでクラッシュするまでを簡単に… 覚えてる範囲で書きたいと思います。 その前に606号最初のクラッシュ編から…

 
 1998年12月31日 大晦日

 毎年大晦日には思い出す出来事。 その日は「走り納めじゃぁ〜!」と、ちょくちょく走りに行ってた三河湾スカイラインへ! 少しぐらい寒くてもへっちゃら♪ 年末だろうがお構いなし♪ セブンを買った頃は展望駐車場から次の駐車場を越えて更に次の駐車場でUターンの繰り返しで遊んでました。 しかしカマボコやら、冬場は落ち葉で危険だったのでUターンする駐車場と料金所間を走るのが好きでした。 
 ところがこの日は国道23号からスカイラインに入る時から赤のR]−7(もちろんFC)を追いかけてました。 料金所で間隔を開け頂上展望駐車場を通過。 R]−7にピッタリ付いてました。 喧嘩じゃないので安全な車間距離はおいてましたが、桑谷山荘下の料金所手前の右コーナーでフラつき、下りの直線でR]−7が突然スピン。  そのままR]−7は左斜面の土手に乗り上げて止まりました。 僕は右に避けました。 その瞬間『ドガン!』と606号と僕に激しい衝撃がきてエンジンが止まったままスルスルと路肩まで流れて行きました。

 そうです。 センターラインに突き出た大きなキャッツアイがエンジン下のオイルパンにHIT! BDRのオイルパンの下には線路みたいな物が付いているのでオイルパンは割れなかったけど606号の内蔵は激しく後ろに下がりました。 どうしてイイのか全く分からず… ただただ立ち尽くしてました。  R]−7はフロントスポイラーが外れただけで…拾って積んで帰って行きました。
 エンジンはスターターボタン押しても何の反応も無かった。 ボンネット外していろいろ点検したらスターターの配線が2本とも引き千切れていました。 なんとか接続してボタンを押したらエンジンは無事に掛かりました。 真っ黒の煙がでたよ! これで安心と思いながら606号に乗り込んで発進したら2速に入らない。 慌てて3速に入れ、次に4速にも入らない。 内蔵が後ろに下がったのでチェンジレバーがアルミフレームに当って後ろに下げるギアが入らない状態。 この時、事の重大さに気がつきました。 1速と3速のみで家まで辿り着き、ショップに電話したら年明け早々引き取りに行くとの事。 家まで帰って気がついたのは、ヘッドライトが飛び出てブランブラン状態で帰ってきた。 人生で一番暗い元旦を迎えるのでありました。

 それから数日後に引き取りに来てくれて… 悲しい電話がきました。 ミッションを支えてるフレームが折れているから最悪フレーム交換。 騙し騙し乗るなら溶接して済ませる。 そのどちらかの選択を迫られて出した答えが『溶接して騙し騙し乗る』という事でした。 それは数日で完成しました。 普通に走る分には全く違和感無く乗れました。 2速も4速もスコスコ入る幸せを噛み締めながら再びエンジョイしました。

 ところが美味い話はあるもんじゃない。
 何度も折れては溶接…折れては溶接を繰り返してました。 レース中に折れてギアチェンジを拒否された恐ろしい事もあり… フレーム交換の必要を迫られるようになってきてました。

 続きは回顧録・参をお読みください。

 
 【2003年4月20日 セントラルサーキット EURO CUP 2003 BLSレース】

 前夜、毎回宿泊している西脇健康ランドホテルの前にある行き着けのタコ焼き居酒屋さんで、手伝いに来てくれた#99さんと軽く飲んで…激しく食べて、温泉入って寝た時は曇り空でした。
 翌朝目覚めた時から雨! 天気予報で雨と聞いてたので、606伝家の宝刀ダンロップ93Jを持って来た事に『成功』の二文字を噛み締めました。

 レースは雨という事でリタイア続出! 結果セブン2台、エリーゼ、スポーツエリーゼ、エクシージのたった5台でのレースとなりました。
 どう考えてもエリーゼ勢の有利に思え、雨でクラッシュだけは避けたかったので無理せず無事完走を目指して予選に臨みました。 とりあえず古い93Jがどこまで食いついてくれるか確かめながら1周。 2周目後半からタイムアタックに入りました。 雨なので予選8分の間に何周できるか分からなかったから、チェッカー振られるまで毎周タイムアタック! たった5台だから常にコースクリア状態だった。 終盤に入ってコントロールタワー横の順位表に1位から5位までが表示されてる。 与えられた流しゼッケンだったので自分のゼッケン番号なんて覚えてない。 ただ、上位4台は接戦。 1台だけメチャ遅いのを確認した時は間違い無く「自分だぁ!」と思った。

 予選を終了して恥ずかしがりながらピットに戻ったら、おじゃさんが妙に興奮して「PPですよ! おめでとう!」と言ってくれた。 僕は信じられなくて、後ろからPPなのかと思ったぐらいでした。 それから決勝まではどう過ごしたか覚えてないです。 武者震いの連続&地に足が着いてない状態でした。 メチャ遅かったのはもう1台のセブン。 無事に完走すればクラス優勝は確実だったけど、総合優勝か無理してリタイア… 606のキャラ的にはリタイアの確立のほうが濃いですね。

 そして決勝グリッドまで移動する時間がきました。 『最後尾で待ってからPPのグリッドに一番最後に並ぶ』って事を一度でイイからやってみたかった。 こんなチャンスは二度と無いかも知れない(二度と無かった)から実行しました。 あれは気持ち良かった♪

 雨の降りしきる中、長い時間スターティンググリッドでシグナル睨んで待ち続けました。 10秒前表示… 5秒前… シグナル赤が点灯… そしてグリーンシグナルでスタート! 
 スリップせずに綺麗にスタートできたけど1コーナーは下りの右コーナー。 2番グリッドのエクシージにインを差され順位後退。 そのエクシージもレインタイヤを履いてるけど1コーナーから複合する2コーナーを抜ける時はお互いに横滑り。 聞けばこのエクシージのドライバーはジムカーナーでは名の通った選手らしい。 コーナー立ち上がりで後ろに付いたけど物凄い雨水の巻上げ(ウォータースクリーンと言うらしい)で全く前が見えない。 しかもストレートが速い! もはやこれまでか… と思ったけどコーナーでは606号の方がプチ速い。 セントラルは長いストレートが2本あるから追いついてもなかなか抜く事はできなかった。 いつの間にか後続車は見えないくらい離れてる。 このまま無理しなければ総合2位・クラス優勝は確実。 無難な選択肢を選ぶか… それともプチ挑戦してみるか… 普段なら楽な選択肢を選ぶ606だけど、なぜかその日だけは熱かった! 『狙うは総合優勝』 一丁やってみるかぁ! 

 あの時は今でも信じられないくらいの集中力だった。 何度もインを差しては一緒にアウトに流れ、立ち上がりで先行される。 立ち上がりのスムースさには脱帽! 606号のリアは慌てて踏めばいとも簡単にホイルスピンしちゃう。  レース中盤、それでも諦めずに追い続け…エクシージのインに入った時にドライバーから『先に行け!』という合図。 こっちもギリギリの状態だったのに手を上げて『ありがとう!』の合図を出した。 もちろんエクシージもセブンも流れながら…。 一瞬の事だったけど凄く長く意志の疎通をしていた感じ。 そこからは606号の独壇場でチェッカーフラッグを受けました。 

 「やってもーたー!」 凄く気持ちの良いレースだった。 
 レース終ってエクシージのドライバーさんとお話した時に「ドライだったらセブンをコーナーで攻め込めるけど、ストレートで置いて行かれる。 今日は全くその逆だったよ。」と言われた一言が今でも印象に残ってます。 
なにせ606号はフレーム折れて軟らかいから、雨なら更に強いわね!
 606号が一番輝いてた日だったと思う。 僕もレースが凄く楽しく思えた日だった。 その時のリザルト★
チキチキ通信 回顧録 弐
茶臼山・面ノ木駐車場です。
左が606号。
使い捨てカメラの時代でした。
毎周遊んでた仲間です(^0^)
鈴鹿サーキットフルコース走行会
606号は完璧なノーマルでした。