Q 『女性との出会いは?』 A 婦人自衛官の居る駐屯地なら出会いはあるでしょう。 でも婦人自衛官は同世代の一般自衛官など全く相手にしなかった時代。 付き合うなら『防衛大学出身』もしくは『幹部』といった時代だったから土台無理。 僕が居た2つの駐屯地に婦人自衛官は一人も居ませんでした。 退職間際、中隊に二人配属されたからビックリ。 そんな事はどーでも良かった事なので顔を見る事無く退職しましたがね。 前期教育期間の豊川駐屯地は連隊という大きな駐屯地であったのに婦人自衛官は居ませんでした。 此処での3ヶ月間は『女性との出会い』よりも毎日が戦争で… 土と葉っぱと男漬けの日々でした。 泥だらけの日々。 後期教育期間〜退職まで過ごした青野ヶ原駐屯地は群という小さな駐屯地だったので、もちろん婦人自衛官は居ませんでした。 ただPXと共済組合(銀行)には綺麗な女性が居ましたね。 栄養士の女性も性格はキツかったですが美人でした。 というワケで駐屯地内での『出会い』はゼロ。 でも18歳から22歳に彼女無しの人生も「なんだかなぁ」という感じだったので、誰もが出会いを求めて必死だったのを覚えています。 今みたいにPCや携帯電話が無かった頃… 雑誌の『ペンパル募集』のコーナーを見て、必死に手紙を書いていた若い隊員。(今で言うところのメル友だね) 中年隊員に至っては結婚相手紹介所(OMMGとか)とのやりとりに燃えていたし…。 でも殆どの隊員が諦めモードだったのも事実。 僕もその中の一人だったのも事実。 実際『車』が無ければ身動きできない場所に駐屯地があったので交際も続かない。 ペンパル募集で交際まで発展した隊員が同じ居室に居たけど… 最終的には意味不明の慰謝料を求められて終わっていたなぁ。 ある中堅陸曹はOMMGの集会に喜んで行っては凹んで帰って来る事の繰り返し。 結局『自衛官』なんて相手にもされないのが事実でしたね。 まぁ本人にも問題はあると思うのですが… なにせ男ばっかの世界だから話題が乏しい。 ミリタリーマニアの女性とぐらいしか上手くいかない事は、成人式でよーく分かっていた僕でしたから。 生涯自衛官という隊員は必死だったと思います。 そんな青野ヶ原駐屯地でも外部から女性が大勢来る時が2回ありました。 @ ディスコパーティー(古っ!) これは一つのお祭り事でして… 市内外の市役所・商工会議所などから独身女性がやってくるという、スケールの大きな『ねるとん紅鯨団』。 なんで自衛官がそんな服持ってるんだろ?と思わせるタキシードで登場する隊員も居れば、マハラジャでしか着れそうにない紫のスーツで気合を入れる隊員も居た。 でもパーティー会場は駐屯地の食堂なんだよね。 雰囲気モノで小さなミラーボールが扇風機の下でグルグル回ってはいたけど… 紅白の幕の裏は厨房だもん。 そんなパーティー会場で踊る隊員はゼロ。 考えてみたら誰も踊れやしねーよ! むしろ女性のほうが踊り慣れてて女性だけで盛り上がる始末。 僕はビールやカクテルを運ぶ仕事をしていたので女性に近づくのは簡単でした。 実際デートまで漕ぎつけた事はあったけど、やっぱり田舎は車がないとツライだけで長続きはしませんでしたね。 ディスコパーティーの翌日は公衆電話が大渋滞。 そんな渋滞も日に日に解消していくのが現実で笑えました。 5000円のテレホンカードが競馬場のハズレ馬券の如く舞っていたよ。 A体験入隊 毎年、伊丹市だったか?近所のカネ○ウ化粧品の新入社員(女性ばかり)20人ぐらいが2泊3日の体験入隊にやってきます。 やる事は基本訓練などなど。 二日目の夜は演習場で野営訓練をする。 この訓練に携わるのが5人ぐらいの隊員。 まぁダイレクトな出会いですわね。 僕も退職間際に「やってみないか?」というお言葉を頂きましたが… 新入社員というものは4月というのが当たり前でして… 3月に退職する僕がやるという事は退職せずに続けていなければ出来ない事でして… 嫌味いっぱいの言葉でしたが、心揺らいだお言葉でもありました。 かなり不細工な班長でもなければ、ほぼ100%の確立で交際に発展していた憧れの体験入隊でしたね。 縁がなかった。 田舎の駐屯地でも都会の駐屯地でも出会いなんてほとんど無かった。 どうだろう? 入隊して1年を過ぎた頃かな? 出会いを求めたり考えなくなったのは。 男同士の付き合いのほうが気楽で楽しかった。 ホモじゃないけど男同士or独りのほうが本当に楽しかったね! そうなっちゃうものだろうか?? そう考えてみたら、18歳から22歳までの4年間って…ほとんど女性と喋らずに過ごしていたんだなぁ。 次回は朝昼晩の『食事』についてお答えします。 by606 |