156 陸上自衛隊二任期満了退職

 気がつけば退職の日の朝。  1990年3月25日  恐ろしいほどの快晴だったのを覚えています。

 夢の中では真っ赤な新型MR−2のTバールーフを外し、急発進でスキール音を短く残して駐屯地を去るシーンを見たかどうかは覚えていないけど…  現実は妹の白いカローラで駐屯地を去るという〆らないラストシーンとなってしまった。  誰を恨めばいいのか?  全然嬉しくない退職の日の朝だった。


 自衛隊で食べる最後の食事。  通い慣れた食堂で時間に追われる事も無く、ゆっくり朝食を済ませた。  「おぅ! おはよう本多ぁ! 今日は見送りに行くでな!」と同期生や他の中隊の奴らが声をかけられる。  「いいよ別に…。」と沈んだ声で本音とは裏腹の返事をしたのは、ラストシーンがカローラだったから。  これがMR−2だったら「お願いだから来てねーっ♪」とハイテンションで答えただろう。  つまらん事をいつまでも引きずる性格は今も変わらず。


 朝飯を済ませて洗面&トイレを済ませる。  4年間、いつも他人の臭いがこもる便所ともこれでやっとお別れ♪  洗濯からも解放される!  否、これから毎日が洗濯だ。


 居室に戻ったら制服に着替えて朝礼に参加した。  「なんだ本多、退職は今日だったのか!?」  「淋しいじゃねーか!」とか言われながら強い力で叩かれた。  どさくさに紛れて腹に膝蹴りを入れてくる隊員も…。
 いつもと何ら変わらない朝礼。  いつも通りに国旗掲揚。  「たぶんこれが国旗に敬礼するのも最後なのだろうなぁ。」  前期新隊員教育期間で敬礼を習って今日まで何回敬礼をしたのだろうか?  いろんな事がここにきてフラッシュバックし始めた。


 朝礼が終わる間際に中隊長が、「本多士長の見送りは11:00(ひとひとまるまる)現在地に集合完了するように。」と…。  あと3時間で退職かぁ〜。


 朝礼後は中隊長室で退職を申告。  幹部には嫌われ気味だったので、マニュアル通りに済ませて、中隊長が何か話かけられる前に自分からさっさと中隊長室を出た。  今更話す事なんてない。  劣等生が優等生ぶって喋る必要もない。

 居室に戻ってから、通帳と印鑑を持って厚生課に行って貯金を全額下ろそうとしたら、厚生課に現金が足りず…  また駐屯地まで足を運ばなければならなくなった事に人事陸曹が厚生課の人を怒鳴ったのは前にも書いた通りで、なぜこの時僕が喜んだのかと言えば、今度はMR−2で来れるからです!  ただそれだけの事。


 居室に戻って私服に着替えて制服を補給課に返却。  自分のベッド、自分のロッカー、そして自分の名前が書かれた居室の扉にガラにも無く別れを惜しむ。
 そんなつまらん事で退職までの3時間を過ごしてしまった。  居室では新隊員がコーヒーを作ってくれて「お疲れさまでした。」と…  なかなか出来た新隊員だ。


 「集合準備!」  当直陸士が10時45分に叫びながら廊下を歩く。
 なんだか照れ臭くて居室から出るのが嫌だったけど、冷めた表情でクールな自分を醸し出しながら中隊の集合場所に向かった。


 集合場所に着いてはみたけど…  何処に並んだらいいのか分からない。
 今までは胸を張って一番前に並んで小隊陸士をまとめていたのに…  並ぶ場所がない。
 仕方なく一番左の一番後ろに隠れるように並んだ。

 「本多士長前へ!」  前に立っている中隊長に呼ばれる。 
 僕の右で中隊長が僕の事を5分ぐらい話をした。  僕は緊張していたので中隊長が何を喋ったのか聞いていなかったです。  緊張しながら皆への挨拶を考えていたし…。


 「じゃあ本多士長から何かあれば…。」と、案の定スピーチを指示された。

 「ただいまご紹介に預かりました本多という者です。(ウケを狙ったけど激しく滑る)  いろいろあった4年間でしたが、ASP訓練に陸士の分際で連れて行ってもらえた事が一番の思い出です。  あの時、金髪女性を抱く勇気がなかった事だけが、この自衛隊生活での後悔です。(ややウケた)  帰ってもとりあえず性病の心配はなさそうだから安心して家の仕事に専念できそうです。(ちょっと引いた)   お世話になりました。  皆さんお元気で!」  最後のほうは少しだけ涙が溢れて声にならなかった。  まさか泣くなんて思っていなかったぞ!

 
 義理と人情の拍手を受け…  実際はどういう意味の拍手か分からなかったけど、優しい音色に聴こえた。

 江藤は北方転地訓練で北海道に行っているので不在。  嫌な奴の顔を見ないで去る事ができるのは嬉しい。  でも、あんな江藤だったけど、今となっては握手して気持ちよく別れたかった気もする。  嫌な奴の事って本当にリアルに覚えていて忘れられないから不思議。


 「右向けー右!」 「正門まで右から2列縦隊で進めー!」  中隊全員が正門まで前進。  僕は中隊長と一緒に最後尾を歩き始める。  その時!結婚式と葬式を+して2で割ったようなBGMが駐屯地中に流れ始めた。  今までは何気なく聴いていた退職時のBGM…  自分の事となると涙を誘発するから困ってしまった。


 既に正門付近には中隊以外からも大勢が集まっていたのでビックリ。  糧食班の栄養士さんも来てくれてる♪  PXのお姉さんも、厚生課のお姉さんまでも来てくれている♪  華のある退職になって良かったぁ♪  つか…なんで?

 一人ずつ握手をしながら「お世話になりました。」と目を見て気持ちを込めて言いながら歩く。  ASP訓練でチームを組んだ3人の前では泣き崩れてしまいそうだったわ。


 そして僕が教えたあの新隊員達(一年後輩)も見送りに来てくれた。  「戻ってくんなよ♪」  「いつか仕返しに行くでな♪」 と笑いながら憎まれ口を叩いて見送ってくれた直後に新隊員たちが胴上げをしてくれた。  予期せぬ出来事に感動。  胴上げなんてバイトを辞めた時以来、実に4年ぶりだ!  嬉しかったけど小銭がポケットからいっぱい落ちて大変でした。  全部拾われて持っていかれたよ。


 「本多君のこれからの発展と御多幸を祈って万歳! 万歳!! 万歳!!!」と万歳三唱の間、見送ってくれてる方々に180度くらいまで深く頭を下げ続けていました。

 
 たくさんの拍手と声援と罵声に後押しされるように妹のカローラに乗って正門を出て高速道路のICを目指しました。
 
 たくさんの拍手と声援と罵声に後押しされるように、場違いな真っ赤なMR−2でカッコよく正門を出る夢は…  叶わなかったです。  あれほど夢見て、夜な夜な一人でニヤニヤしていたのに…。

 このままカローラに乗って何処か遠くに行きたい気分でもあった。


 やっと自由を得た気分。  なにもかもが終わった。

 4年間…  豊川駐屯地での3ヶ月間の前期教育  青野ヶ原駐屯地での後期教育  松山駐屯地での3ヶ月の大型免許取得と1ヶ月の大型牽引免許取得  10日間のアメリカ実習    結局3年半ぐらいは青野ヶ原駐屯地で暮らした18〜22歳。
 あれから21年。  今年、梅雨に入る前に、なんとな〜く遊びに行く予定です。  今度はもちろんSEVENで!


 ありがとう陸上自衛隊。  結構面白かったぞ(^-^)
by606