140 ホークミサイル実弾実射訓練 其の壱拾五

 なんだかんだで移動を含めて10日間。  訓練らしい訓練はミサイルを組み立てて、ミサイルを運んで、ミサイルを発射機に搭載しただけ。  仕事した時間は全部通せば1時間くらいじゃなかろうか?
 自分の任務以外の時間はARMYさんと喋ったり、一緒にカントリーソングを歌ったりしていただけ。  あとは『視察』と銘打った『観光』、これが公務員なのさ♪  ディズニーランドに何を視察に行くのかね!


 来た時は空っぽに近いスーツケースも、帰りは土産でいっぱい。  同期の奴らに頼まれた本場のプレイボーイ誌もPXで大量に買った!  しかし万が一にでも手荷物検査で見つかれば没収されるだけでは済まない。  そりゃそうだよね。  だって…。
 だから仕方なくゴミ箱に全部捨てた。  ついでに使わず終いのコンドームも捨てたし。  なんだか虚しかった。


 ロサンゼルス空港の暑さは半端じゃなかった。  早くエアコンの効いた飛行機に乗って寛ぎたい。  搭乗手続きで並んでいたら、「なぁ! あの人って高倉 健さんじゃねーか?」と…。
 w(@。@)w 本当だ!  高倉 健さんだ!!
 ガラス窓から差し込む日差しに向かって黄昏ていた。  なんとも言えぬオーラを放っている。   違う通路(ファーストクラスの通路)側に立っていたので近くには行けなかったけど、この距離から見たから感動したのだろう。  ああいう男になりたい。  黙っていても相手に何かを感じさせれるなんてスッゲーよなぁ!
 プレイボーイを大量に買ったり捨てたりしていた自分をスッゲー小さく感じたわ(>。<)


 高倉 健さんと同じ飛行機に乗って日本を目指しました。
 機内での楽しみは酒と機内食と綺麗なスチュワーデスさんぐらいしかなく…  目に毒な灰色の制服(陸上自衛隊の制服)と男臭さに囲まれて長時間を過ごしました。


 日本に到着して日本語の看板に懐かしさを覚えた僕。  ぼけ〜っと手荷物検査を受けて、ぼけ〜っとスーツケースが流れ出てくるベルトコンベアーの前で待っていたら喜多嶋 舞さんが隣に立っていた。  当時は怖いくらいのファンだった僕。  固まったわぁ!
 喜多嶋 舞さんは速攻でスーツケースを取って消えて行きました。  僕が二十歳そこそこだったから喜多嶋 舞さんは15〜16歳。  カメラ持っていたのに…。  プレイボーイを大量に買ったり捨てたりしていた自分には何もできましぇん(>。<)


 帰りは飛行機の時間調整は無いので、空港から東京駅までバスで移動。  日本の蒸し暑さに倒れそうになったのを今でも覚えています。  湿気のない暑い国っていいなぁ〜って痛感したよ。


 東京駅から姫路駅まで新幹線で移動。  途中の豊橋駅から名古屋駅までの間で、一瞬だけ西尾市を通過する区間がある。  いつ通っても嬉しい区間。  その区間を自衛隊の制服を着て通過するのも珍しい。
 新幹線の車掌さんの制服は真っ白でカッコイイなぁ!  それに比べて僕の制服のダサイ事と言ったら…。


 姫路駅に着いて日常を感じた。  いつもの景色だ(>。<)
 姫路駅からバスで駐屯地に向かう景色。  「やっぱりこの景色が落ち着くなぁ。」と…  自分を日本国田舎者だと悟った瞬間。  スペースコブラの世界も良かったけどなぁ♪  肉ばっかりの世界も良かったけど、早く美味しい味噌汁が飲みたかった。


 だんだん駐屯地に近づくに連れて「明日から何するのだろう?」と、今まではASP訓練に明け暮れていただけに不安になった真面目モードの僕。  真面目な気持ちとは違う不安でもありました。

 バスは駐屯地正門の手前で停まり、全員下車。  2列縦隊で並んで足並みを整えながら行進。  出発の時みたいに手の空いてる隊員がメイン道路の両脇に並んで出迎えてくれました。  これ…かなり感動的!  全員が拍手をする中を行進したのですが…涙もろい僕は一番下っ端のくせに一番頑張った奴(甲子園のピッチャー)みたいに涙が止まらなくて恥ずかしかったです。  たった1時間頑張っただけなのに。


 そのまま会議室まで行進して、一足先に帰っていた駐屯地指令に任務終了の報告。  長ったらしい駐屯地指令からのお言葉を苛々しながら聞いて、やっと解散となりました。  既に居室には自分のスーツケースが到着しており、また何か爆発してないか心配だったので直ぐに開けて確認したA型の悲しい定め。


 スーツケースを開けたら土産が貰えるのかと…居室に居た奴らが集まってくる。  もっと感動的な渡し方をしたかったのに、奪い取られるかの如く配布。  
 「プレイボーイはぁ?」という期待通りのツッコミに、「もっと大人になりなよ!」と…  高倉 健さんの受け売りみたいに対応した。
 感動も味気も全くないお土産タイムなのが男ばっかりの自衛隊。  


 たくさんの物を一つ一つ片付けながら、たくさんの出来事を一つ一つ思い出す。  写真もたくさん撮ったなぁ。  アホみたいに撮ってきた。

 
 あれから22年。
 ASPの思い出で形として残っているのは、アメリカで使用した戦闘服上下と弾帯とMLR(ミサイル組み立て班ローダー手)という肩章。  それとホワイトサンドから持ち帰った白い砂。  自分の為に買った土産で残っているのはマックグレガー射場基地で買った地対空ミサイルの部隊章が刻印されたジッポライター1個だけ。  
 残ってるモノは僅かだけど、あの10日間の思い出は、22年経った今でもカラーでリアルに覚えています。  訓練以外にたくさんの事を学んだ10日間。  実際、訓練なんてどーでもいい事なんだけどね。  今現在までの人生でいくらかは役に立ってる気がする。


 なんとなく入隊した陸上自衛隊。

 闇雲に匍匐前進&突撃をしていた前期教育期間。

 発射機の整地撤去を繰り返しただけの後期教育期間。

 目標や希望もなく中隊に配属されて、やっと見つける事ができた『ミサイル実弾実射訓練に参加』という此処での目標。  その目標に辿り着き、頑張って達成し…  これから何を目標に頑張ればいいのだろうか?
 別に頑張るつもりはないけど、目標や希望もなく生きていくのは無意味な人生。

 アメリカに向かってる時は二十歳そこそこで気力溢れる自衛官だった。  でも駐屯地に帰って片づけをしてるうちに一気に老けた気がする。  竜宮城から戻った浦島太郎?  否!  それは単に『目標』を失ったからだ。
by606