入隊するまでの事
 1985年… 高校3年生の夏休み前。 そろそろ卒業後の進路を決めなくてはならないという人生の分岐点にさしかかっていた。

 三流公立高校(農業土木科)で、気ままになんとなく2年半過ごしてきた僕は、卒業したら『家業のクリーニング店を継げばいいや』ぐらいに考えていました。 大学進学などを目指す同級生はクラスに1人か2人だった。 何処にでもいる掃き溜めに鶴のような人間。 他の生徒は土木関係に進む者が多かった。 土木関係も奥が深いので、いろんな職種がある事にそれまで気がつきませんでした。

 本当は家業を継ぎたくなかった。 全然ヤル気なかったもん! もちろん親父に「家を継ごうと思ってる」なんて一度も言った事がなければ、手伝いをした事すらなかった。
自分の進路に切羽詰って、諦め口調で継ぐ意思を伝えた時に…  「別に今すぐ継がなくても4人(両親と祖父母)で仕事はこなせる。 他所でメシ食ってこい!」 そう言われたのは今でも忘れない。 スッゲー困った事も忘れていない。 他所って…何処よ?

 数日がなんとなく過ぎたある日… 学校から帰ったらカッコ良いジープが家の駐車場に止まっていた。 その時は自衛隊のジープだなんて分からなかった。 お客さんだと思って普通に帰宅したら見慣れない制服を着たゴツイ男が二人座っていて、ようやく自衛隊さんだと分かったぐらいでした。

 「まぁ座れ」 座りたくなかったけど親父がマジな顔して言うから嫌々座ってみました。 「まぁ座れ」「ちょっと話がある」 改まった親父の言葉、これは絶対ヤバイ展開になると思ったので困ったよ。   案の定、入隊への道しるべとなるパンフレットを広げて説明が始まった。 

 まず最初は陸上自衛隊・海上自衛隊・航空自衛隊の説明。 もちろん陸上自衛隊の説明から始まったのだけど… それはそれは熱心極まりない語り口調。  今でも覚えているのは「すぐに大型免許が取得できます。」 「その後で希望なら大型けん引免許も取れます。」 「その他数多くの免許や資格が取得できます。」 「ご両親も防衛庁(現在は防衛省)から旅行に連れて行ってもらえますよ。」などなど夢のようなオプションを紹介されました。 給料・年2回のボーナス・退職金も「どうだぁ!」と言う感じの説明。 その頃なんて金の事なんてどーでも良かったし、分からなかったので気にもしなかったけどね。

 とにかく陸上自衛隊の事は「もう最高!」と言わんばかりの説明だった。 それに対して海上自衛隊と航空自衛隊の説明は、わずか数秒。 「あ〜海上ね。」 「はいはい航空ね。」程度の説明で… なぜか陸上自衛官募集のパンフレットだけ置いて帰って行きました。
 その後、パンフレットを開く事はなかったです。

 まぁ、その日を境に両親とよく喋るようになりました。 が! 未だに『なぜあの二人が来たのか?』という僕の素朴な疑問は消えません。 90%以上の確立で、親父が手配したのは間違いない事だろうけど… それに至るまでの経緯は闇に葬られたままです。

 授業中はもちろん、放課後も一緒に遊んでた親友に「昨日、自衛隊の人が家に来てさぁ… なんか俺…自衛隊に入る事になるかも知れんのだわぁ」とローテンションで話をしたら… 「じゃあ俺も行くわ!」と速攻で進路決定。  一人で行くよりは助かるけど、そんなに簡単に決めれちゃうオマエが羨ましいわ!

 数日後 
再び自衛隊の人が来た。 「そいじゃあね… これに必要な事を書いてくれるかなぁ!」 って… 願書やん!!  驚いたけど他に道が無かった僕は書かざる得なかった。 
 願書を書きながら、「毎日散々走らされるんだろうなぁ」「スッゲー殴られるんだろうなぁ」と、お先真っ暗状態で重いペンを走らせました。 なにが悲しくて自衛隊なんかに入らないかんのか?
書き上がってから制服を合わせる為にメジャーで体中を測られた。 しつこいぐらい測られた。 測られながら親友も自衛隊に入りたがってる事を話したら、住所と電話番号を聞かれたので素直に教えました。

 翌日… 授業中はもちろん、放課後も一緒に遊んでた親友が「昨日、自衛隊の人が家に来てさぁ… 入隊の手続き済ませたわ♪」とハイテンションで喋ってきた。 「早っ!」と… 自衛隊の人がその日のうちに彼の家に行った事にも驚いたし、親友がその日のうちに入隊の手続きを済ませた2つの事にメチャメチャ驚いた。

 これで「やっぱヤメるわ!」なんて絶対に言えないなぁ…。